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レッスン41


レッスンの録音を聞いていて気になる事が。。

録音に使っているのはSONYのICレコーダーだけど、
これって、1.5倍くらい遅く聞こえるのは気のせい?

レッスンの時は、
落ち着いて急いで弾かないように---と心がけているんだけど
録音を聞く限り、もぉ~っちゃりもぉ~~~~っちゃりと
ものすごーーーーく遅く聞こえる。
電池切れかけのおもちゃみたい。
いつ止まるんやろ・・・みたいな感じ。
しゃべってるのもトロい。
--自分では早口でしゃべってるつもりなんだけど・・・

レコーダー変えた方がいいのか
急いで弾いた方がいいのか悩む/(☆_<)

ウエルナーはやっぱ、手首だけの移弦ができなくて
44ページ上2段をもう一度。

下の(長ったらしい)練習曲はボウイングを変えての練習。

あと、バッハ無伴奏1プレリュード。
けっこう自分では速めに弾いたつもりなのに
これももっちゃーーーりーーーと聞こえる。
やっぱレコーダー/(☆_<)

31小節目からのミファファファ・・・
がかすれる。
D弦を押さえる指がA弦に触れてしまうからだ。
まだカエルの指先になってないので
指を少し寝かせないと弦が押さえられないため
どうしてもA弦に当たってしまう。
がんばって深爪しないと。。。ちゃうか。

いい加減飽きてきたけど
先生的にはやっと譜読みが終わって
音程はふらつきながらも通しで弾けるようになったので
次は曲の雰囲気を和音でとらえましょう♪なことを宣うた。
漠然としすぎてよくわからなかったけど、
均等に音符を弾くのではなくて
ト長調なのに短調になるところとか
臨時記号がつく音符のところの前後で
タメをつけたり強弱を付けたりいろいろやってください。
だって。

いろいろってって言われても照れてまうやん。

お手本を弾いてもらおうと思ったら
レコーダーがピーーーーっと鳴ってエラーメッセージが出た。

「メモリがいっぱいです。」

やっぱ、レコーダー変えた方がいいかな。



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2012⁄06⁄30 14:53 カテゴリー:*Cello♪ comment(4)
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妄想のおまけ


これは、まったくの妄想話です。
デタラメで何の根拠も悪意もございません。

  * * *

仮説1の場合、
空海がペテン師で、得度も受けず、
潜りこむように遣唐使船に乗り込んでいたとしたら・・・

空海の素性を知るひとりの僧がいたはず。
なぜか唐に取り残されている霊仙。

その後の霊仙・・・

「大乗本生心地観経」の訳教を811年に完成
仏教の秘伝が国内から失われることを恐れた憲宗によって
日本への帰国を禁じられた。となっているが
これも???な話だ。

憲宗が反仏教徒に暗殺された(820年)後は
迫害を恐れて修行の地を長安から五台山に移した。とあるが、
なぜ帰ってこなかったんだろね?
一般生だから任期が20年だったのかな。。
他に帰れない理由があったんでは?

その後、霊仙三蔵は嵯峨天皇からの使者とのやりとりで、
帰国した空海のその後の活躍を知る。
聞けば聞くほどインチキ臭く思えてくる。

 あの男が不空三蔵の生まれ変わり?
 母神伝説も、死後の再生もキリストの話まんまパクリやん。

空海が霊仙のもとから姿を消した時、
門外不出の法具や経典を持ちだしていたのかもしれない。
霊仙から奉納されたと言われる舎利(釈迦の骨)も
勝手に持ちだしたものだとしたら・・・
ある疑惑が湧いてくる。

 自分を日本に帰れないように陥れた?。。。。
 なにもかも辻褄が合う。
 だとしたら、
 空海のことを知っている自分の身が危ういかも・・・

と思ったかどうかは知らないが、
帰れないのなら、せめて自分の持っているものを日本に伝えるべく、
法具と教えを弟子に託す。
(これが不思議。帰れない理由と矛盾する)

827年、なにものかの手によって毒殺される。

その後、空海の弟子の一人である、山城国小栗栖の法琳寺の僧常暁が、
不思議な因縁でこの太元帥法と法具を日本に持ち帰ることになる。
※大元帥法(だいげんすいほう/だいげんのほう)は、
 真言密教における大法(呪術)の1つ。<wikipediaより>

不思議な因縁?たまたま?
霊仙三蔵は教えと法具を、日本から僧が来たら渡せと遺言していたらしい。
が、これもまた限りなく怪しい。
霊仙は密教の秘法中の秘法と言われる「太元帥法」を空海から守っていたのかもしれない。
守りきれなかったけど。

--------------------------
その他、心にうつりゆくよしなしごと

●空海が日本に帰る時に言ったセリフ

「虚しく往きて実ちて帰る」

ダメ元で行ったのに、ちょーラッキーで凱旋しちゃったよ~
認められて派遣されたんだったら、「虚しく往きて」ってのおかしくない?
てことだとしたら、別人でもなくやっぱ<仮設1>の方?

●今、伝えられているものは、
 後からつじつま合わせに強引に作ったものだと思う。
 強引すぎるところは全部「比類なき天才」とか「奇跡が起こった」ことにして。


●『理趣経』で思い浮かんだこと。

アイズワイドシャットやダヴィンチコードでルーブル美術館館長が孫娘に見られてしまった儀式が思い浮かんだ。
まあ、フリーメイソンの起源は16世紀後半から17世紀初頭とか、14世紀頃の中世の石工職人組合(ギルド)に起源を持つとか言われているので、年代的に全然合わない。どっちかというとフリーメイソンよりイルミナティっぽい感じがする(根拠無し)。でも、資金力とか考えるとそんな組織がバックについていた可能性も?インド経由で伝わった景教とかと一緒に?・・・んじゃ、その前のテンプル騎士団、もっと前の十字軍・・・まだあと200年前・・・とかって遡っていったら収拾がつかなくなってきた。

とりあえず、今はここまで。




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2012⁄06⁄27 13:30 カテゴリー:*Diary comment(0)
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妄想のつづき 一気にラスト・・・かな?


えーと、妄想のデタラメの、
まったく思いつきのオハナシですので。。。

   * * *

日本へ戻ってからの空海・・・

<仮説1:ペテン師説>の場合
うまいこと言って、次の遣唐使船でちゃっかり日本に戻ったものの
すぐに朝廷のところへは行かない。
いろんな意味で行けるわけがない。
当然、密教の内容も2ヶ月では何も飲み込めていないし、
「キミ誰?」と思われるのはあたり前のことだろう。

とりあえず、九州に留まって策略を練っていた。

<仮説2:別人説>の場合もやはり
なんとか遣唐使船に乗って日本へやってきたものの、
何の足場も後ろ盾もないので、準備期間が必要だった。

ここで、最澄の話。
エリート中のエリート。おぼっちゃま最澄は
唐にもスムーズにたどり着き、
ちゃっちゃっちゃ~と外交を済ませ、手土産を持たしてもらって
空海より一足早く戻っていた。
予定通り長安で天台教学を修学して帰った。
いろいろ持ち帰った中に。密教の本もちらほら混ざっていた。

当時の皇族や貴族は、堅物最澄の天台教学よりも、
密教や浄土教に興味を持ってしまった。
最澄は密教を本格的に修学していたわけではなかった。

メモ:最澄は桓武天皇の信任を受け、留学生より格上の還学生(げんがくしょう)として、
   短期間滞在して天台教学を究めるため唐へ行った。

空海は持ち帰った大量のリスト(請来目録)と一緒に
留学生期間(20年)を破り勝手に2年ほどで帰国した罪を見逃してもらうために
朝廷の元へ手紙を届けさせた・・という事になっている。

<仮説1>の場合
突如、空海の持ち帰った密教に追い風が吹く。
堅物最澄君が密教について資料不足だったのを聞きつけた空海は
「自分は恵果から真言密教を受け継いだただ一人の後継者の空海であるぞよ!」
(と、この辺から空海と名乗っていたのかもしれない。)

生真面目でおぼっちゃま最澄君、
「何やったら、密教のこと教えたってもええで~」
なんて言われたら、
是非!是非!とばかりに弟子にしてくれ~となったのでわ?
「ただし、素性がゴニョゴニョなんで、あーだこーだ・・・」
自分より位の低い、正規ルートで唐へ行ったわけでもなく
突然ぽっと湧いた空海の弟子になるのは周りも納得しないだろう。

なんとか、京へ行きたい空海と、
連れて行きたい(表に出して空海から密教を学びたい)最澄。

<仮説2>の場合でも、最澄に取り入ったのは同じ理由。

(空海の入れ知恵)
「遣唐使船に乗ってた事にして、得度も受けちゃってた事にできないかなぁ。。。」
<仮説2>の場合なら、
 最澄「あ、そいえば、前に大学中退して四国放浪したまま行方不明のヤツいたっけかな」
 空海「うん。それいいね。それでいっとこ。」

てなわけで、
空海は密教の経典を貸してあげる代わりに
最澄を利用して自分の地位を確立していく。

そうして10年ほど経つと、
天皇につけ込む取り立ててもらったりと、
空海の地位も揺るぎなくなっていた。

空海は京と離れた地で干渉されない自分の帝国を作りたかった。
そして、ようやくベストロケーションの高野山を見つける。

水銀の知恵:高野山の麓にある天野村に住む中国人の鉱山師
(高野山は水銀目当て?錬金術?覚せい剤?)

816年 修禅の道場として高野山を下賜する旨勅許を賜る。

最澄はそろそろ用済みで、ウザく思っていたところへ
とっておきの『理趣経』を貸してちょーと言われ、
そろそろ縁を切りたかった空海は
「なんでもかんでも読むだけやったらあかん。」とかなんとか
もっともらしい理由で最澄をはねつけた。

貸したくなかった『理趣経』とは、(詳しくはこちらで
男女の交わりに関することが書かれてあった秘蔵中の秘蔵書だったから
絶対貸したくなかった。

★『理趣経』で思い浮かんだ事が・・・後ほど。

2年後空海は高野山へ。
この頃、『即身成仏義』『声字実相義』『吽字義』『文鏡秘府論』
『篆隷万象名義』などを立て続けに執筆した。
(持ち帰ったのを自分が書いたようにしただけじゃ?)
(以前書いたものとの比較検証※要)

あとは、歴史的に記されている通りトントン拍子に栄光の道を進んでいく。

で、ちょっと気になった点が。。。
もうちっとだけ、つづきます。




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2012⁄06⁄25 17:18 カテゴリー:*Diary comment(0)
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16分、ゆっくり弾けば8分音符。(字余り)


あああ、夏休みが終わる二日前の心境。。。
そろそろ宿題・・・ではなく練習しなくては
レッスンが今週末だった。

なんだか色々気が乗らなくて、課題は殆どしないで
ロンドの大臣のとこばっか練習してた。
(誰もわかんないだろうな・・)

だって、ウエルナーのページをめくったら
  ↓こんなスクリーントーンか模様か?みたいなページなんだもん。

写真

さて、音叉に電池入れるか。。。




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2012⁄06⁄24 22:41 カテゴリー:*Cello♪ comment(0)
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妄想のつづき2


えーと。。。
何度も言いますが、これはフィクションです。
デタラメです。
ふとした思いつきから膨らました妄想です。

*************

四国放浪の足取りも残っていないという、
なんとも腑に落ちないところへ持ってきて、
突然、唐に渡っちゃったっていう展開も
スゴイ!強引!あっぱれ!

では、どんな経緯で唐に渡ることになったのか
妄想すると・・・・・

<仮説1ペテン師説>の場合、
四国を放浪しているうちに、カリスマ坊主になるためには
唐帰りというハクをつけないと!と思いついた空海は
どうにかして唐へ行きたかった。
しかし、大学も中退し、僧といっても得度(国の認定)も受けてない
フリーターの空海がいきなり遣唐使に選ばれるわけがない。
どうにかして遣唐使船に潜り込んだのではないか。。。
密航・・・とか。
密航でなくとも船員として潜り込んだ・・とか。

空海が潜り込んだ船には霊仙が乗っていた。
<空海が空海となったキーマンは霊仙ではないか・・・>

そして、船は唐に着く。のだが、海賊疑惑をかけられ
50日間拘束される。とある。

そのころの中国では
景教、仏教、ゾロアスター教、道教など
様々な宗教が混在していた。

インドから来ていた般若三蔵という僧が崇福寺や慈恩寺で
華厳経典や密教経典など多くの仏典の漢訳をしていた。
霊仙は般若からサンスクリット語を学び、仏教原典を研究する。
<後に霊仙は三蔵という称号を得る>
こんな名誉ある人物が、なぜ歴史に埋もれてしまったのか。。

空海は霊仙にうまく取り行って、
一緒に般若三蔵のもとでサンスクリット語を習ったのか、
単なる霊仙の下男としてくっついていっただけだったのかもしれない。

ここで過ごすうちにいろいろ小耳に挟んだ情報が後々役に立つ。
例えば、般若三蔵が信仰していたのは元はキリスト教だった「景教」。
(旧約聖書と般若心経は同根だと言っていた。)
この辺りで、きっと空海はイエス誕生の話を聞いたのでは?
だから、受胎や死後の再来のように似た話を作ったり、
不空三蔵の生まれ変わりってことにしよう!とか思いついたり。
この辺りでインド直伝の幻覚を見る覚せい剤とかも入手していたのかもしれない。

そうこうしているうちに
混在する宗教をミックスさせた密教がナウいという情報をキャッチする。
さっそく空海はその密教の第一人者である恵果のもと(青龍寺)へ学びに行く。
学びに、と言っても正攻法ではいけるはずもない。
自分は日本の特使か高僧だとか言って取り入ったのかもしれない。
(恵果と偶然出会う・・・んなあほな。。※恵果との経緯は要検証)
   恵果は不空三蔵の弟子
   このとき恵果は60歳

恵果と会って1ヶ月もたたないうちに密教伝授の儀式を受けたり(眉唾)
その、2ヶ月後には恵果から密教最高位の法王を譲り渡されている。(眉唾)
1000人以上も弟子がいるのに。
みんな20年以上も修行を積んできてるのに。
・・・・。
恵果が亡くなる時に空海に、
「請う本郷に帰って、海内に流転すべし‥‥今すなわち授法のあるなり」
と言い残した。。とあるが、
とっとと日本へ帰るためのでっち上げにしかもう思えないほど
私の心はひねくれきってきた。

当初、跡目と考えていた一番弟子(義明)も都合よく死に、←前後要確認!
多くの経典や法具をごっそり持ち帰る。
どう考えてもおかしい。
(崩壊させて根こそぎ盗んできたのじゃないかと思う)←Xあとで交流あり
(要※その後の真言密教を調べる)

ここで<仮説2>が浮かぶ。
空海別人説。

この頃の唐の皇帝は長男を失って
ちょっと頭のネジが数本飛んじゃった憲宗。
霊仙はその憲宗に認められたのはいいけれど、
あまりに霊仙が深く研究しすぎたので国外へ知識が流れるのを嫌がって
霊仙の帰国を認めなかったくらいだ。

なのに、たった数ヶ月で数々の貴重な国の宝を持ち出すことなんて
できたのだろうか。ルパン三世じゃあるまいし。

空海が持ち帰ったもの
空海は、新訳などの経すべて142部247巻、梵字真言讃などすべて42部44巻、
論疏章などすべて32部170巻、以上合計216部461巻に及ぶ経 典、仏典を筆写、
蒐集して持ち帰った。ほかに仏・菩薩・金剛天などの像、法曼荼羅、三昧耶曼荼羅、
そして仏具・道具類などもあった。
このために空海は大勢 の写経生を雇い入れ、それはあたかも写経工場のようなものだったはずだし、
仏像の制作に至っては多種類の工場を、一時的ながら空海は稼働させたことになっ たはずだ。
金属製の仏具を改めて鋳造・彫金しなければならないから、空海が雇った仏師や画工は、
下働きを含めて数百人といった規模になったのではないかと みられる。
(ソースhttp://rekishi-club.com/gunzou/kukai.html)


これだけのことができたのは、長年恵果の元で修行していた
恵果の弟子達にしかできない。
それもひとりじゃ無理だし仮に大勢の人を雇ったとして、その費用は?
約2ヶ月で?

恵果(746~805)は、幼少時に出家し当初から青龍寺に入り聖仏院の曇貞を師とする。その後不空に師事し、20才で「具足戒」を受け『金剛頂経』系の密法を受法した。2年後、善無畏門下の玄超から『大日経』系の法を授かった。30才の755年、青龍寺東塔院に潅頂道場を下賜され、宮中内道場の護持僧に任じられた。789年には、日照りに際し請雨法を修し徳宗の帰依を受けた。802年病をえて愛弟子義明に後事を託し、804年般若三蔵の醴泉寺に金剛界曼荼羅を造り、般若ほか諸大徳が法筵に随喜した。その時請雨を修しその功顕があったという。
(ソースhttp://rekishi-club.com/gunzou/kukai.html)


恵果がこれだけかかったものを2ヶ月足らずで伝えたというのは
仮に空海の頭脳がずば抜けていたにしても、非現実的すぎる。
脅威の記憶術(虚空蔵求聞持法)を身につけていたとしてもだ。
ここを突っ込んだ人はいないのだろうか・・・。

さらに、中国(唐)の宗教事情要検証

<考察1>
カリスマ性のあった恵果を失うと真言密教は唐では衰退していくのでは・・・
恐れた弟子が活動拠点を日本へ移そうとしたんではないか。

中国事情参考
845年に武宗が強行した「会昌の廃仏」は西明寺を含む4ヵ寺を残し
90十を超える仏教寺院をことごとく破壊し、青龍寺もまた容赦ない法難に遭った。
幸い、翌年「護国寺」として復興し、855年にはもとの青龍寺と呼ばれるようになった。
この年円珍が長安に入り、青龍寺で法全に師事している。
(ソース:http://www.mikkyo21f.gr.jp/kukai-life/cat35/post-145.html)


つづく。。。




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2012⁄06⁄23 22:29 カテゴリー:*Diary comment(4)
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